老けるヒマなんてない第二の人生を!


 

「好きを仕事に!ライフワーク起業」ナビゲーターの大場保男です。

好きなことを仕事にして自分を最大限に活かし、
経済的にも豊かに生きる
50代・60代のライフワーク起業を応援しています。

コロナによる自粛の影響で
季節感が感じられなくなっていますが
5月26日から30日頃までは、七十二候の「紅花栄(べにばなさかう」

紅花の花が咲く頃を表していますが、実際咲き始めるのは6月末頃から。
紅花は、茎の末端に咲く花を摘み取ることから
「末摘花」とも呼ばれ、万葉集にも登場しています。

紅花を発酵・乾燥させて作る染料{紅餅}は、
大変手間が掛かることから、幕末当時のその価値は、
米の百倍という貴重品だったそうです。

さて、今回のテーマは
「老けるヒマなんてない第二の人生を!」です。

年齢は自分で決める!

昭和30年代、わが家に初めてテレビが来たころ、
NHKの画面に良く登場していたのが下重暁子アナウンサーでした。

80歳を過ぎた彼女の「年齢は捨てなさい」という本には、
シニアの生き方についての示唆に富んだヒントが満載されています。
この本の中で、彼女はこんなことを書いています

「いつも、自分は今年いくつで、
来年はまた年を重ねるなどと気にしている人は、
年齢に引っ張られて生きているといっても過言ではありません。

気にしようがしまいが時間の経過に伴って年は取るわけで、
わざわざ気にする必要などないのです。

口癖のように『もう年だから……』という人がいますが、
そのセリフは人生を諦めていることを表しています。」

彼女が60歳になった時、
還暦という言葉を改めて広辞苑で引いてみると
「60年で再び生まれた年の干支に還る」と書いてありました。

そこで、60歳で新しく生まれ変わって
好きなことをやっていくと決心して、60歳で加齢を停止し、
そこから先は年はとらないことにしたそうです。

年齢には、役所に届けられた外的年齢と、
自分の気持ちの持ち方で決める内的年齢があります。
“人生100年時代”は、年を数えていったらキリがありません。

外的年齢はともかく、下重暁子さんのように
内的年齢は自分で決めたらいかがでしょうか。

老けるヒマなんかない!

1932年生まれの女優の岸惠子、
女優にとどまらず、エッセイや小説も手掛けています。

そんな彼女が81歳の時に発表したのが官能小説「わりなき恋」、
“70歳を超えた女性の愛と性”というキャッチコピーで話題を呼びました。

「若さの秘訣はなに?」と聞かれて、
「何の目的もないから老けるのよ。新しいことに挑戦し続ければ
老けるヒマなんかない。言葉をかえれば、もっと苦労することが必要なのよ」
と答えたと言います。まさに脱帽です。

シニアと言われる年齢になると、
「挑戦」という言葉とは縁遠くなりがちですが、
生きている限り「挑戦し続け、走り続ける」、
この気持ちこそ“人生100年時代”のキーワードかも知れませんね。

仕事自体が「生きる活力」

仕事を辞めて家にいると
急に老け込むという話をよく耳にします。
岸惠子のインタビューを聞くと、その理由が納得できます。

特に今まで会社人間だった男性ほど、
この傾向が強いと言われています。

だから、趣味でもボランティアでも地域活動でも、
何かやることが大事だよと人に勧められます。

人と人と関わること、自分の出来ることで周りの人の役に立つこと、
そのこと自体が「生きる活力」につながるからでしょう。

しかし、働くことの方がもっと「生きる活力」につながります。
起業して働けば、収入を得ることが出来ます。
人や社会の役に立つ活動をした結果が売上げ
という形でフィードバックされます。

無報酬の場合と比べて、取組む姿勢や真剣度が違ってきます。
「自分はプロだ!」という心構えが自信や誇りになります。
充実した第二の人生を全うするならば、仕事をすることによって、
「生きる活力」を持ち続けることが必要だと思います。

このところ、コロナの影響で家にいる機会が多いせいか
自分で、ちょっと老け込んだかなと思ったりします。
早くコロナが収束して、思い切り活動したいものですね。

最後に私のメンター(と私が勝手に思っている)
福島正伸先生の夢を実現する今日の一言から

“何が起こるか心配するよりも
何を起こしたいかを考える”

ライフワーク起業ナビゲーター
経済産業大臣登録中小企業診断士  大場保男
yasu-obs@gc4.so-net.ne.jp

年齢に関係なく脳は活性化する!


 

「好きを仕事に!ライフワーク起業」ナビゲーターの大場保男です。

好きなことを仕事にして自分を最大限に活かし、
経済的にも豊かに生きる
50代・60代のライフワーク起業を応援しています。

国民1人当たり10万円を支給するという
特別定額給付金申請書が届きました。

妻の母親が宮崎県のグループホームに
入っているので私の所に送られてきたのですが、
私たちの住んでいる相模原市はまだ先のようです。

私たちの分は、オンライン申請しようと思っていましたが
かえって時間が掛かるようなので、郵送にするつもりです。

さて、今回のテーマは
「年齢に関係なく脳は活性化する!」です。

私は先祖の墓参に行くと、他家の墓碑を見ることがよくあります。
すると私たちが子供の頃によく見かけた近所の
ジイちゃんやバアちゃんが亡くなった年齢は60代が多いことに気が付きます。

あの腰が曲がっていた人が、あの杖を突いていた人が
60代だったのかと思うと今昔の感があります。

私たちの自治会には老人会があり、60歳になると入会できます。
しかし、「60で老人会なんて…」と、その年で入る人は誰もいません。
神奈川県大和市では「70代を高齢者と呼ばない都市宣言」を出しているそうです

。今のシニアは、昔の60代・70代とは全然違いますね。
テレビを見れば、80歳を過ぎた黒柳徹子や加山雄三が元気に活躍しています。
私たちの周囲にも元気な高齢者が沢山います。

東北大学の加齢医学研究所では、
人間の大脳を10年間追いかけて計測したそうです。
その結果、次のようなことが分かったとのことです。

人間の大脳は、外側の灰白質と
内側の白質の2つの部位に分けられる。

灰白質は神経細胞の集まりであり、
その体積は20歳を過ぎた頃から減少し始め、
年齢とともに直線的に減少していく。

一方、白質は神経線維の集まりであり、
灰白質とは対照的に年齢とともに少しずつ増えていく。
ピークは60代から70代の間となる。
それを過ぎると減少していくが80代でも20代と同程度の体積がある。

このことから言えることは、
年齢とともに計算したり記憶したりするスピードは落ちてくるけれども、
直観力や洞察力という高度で深い知恵の力は増えていくようだ。
つまり、大脳の潜在能力は年齢とともに発達していく。

チョウやガの写真を撮ることを趣味にしている60代の知人がいます。
彼は、何千枚という写真のチョウやガの名前はもちろん、
いつどこで撮ったのかもすべて記憶しています。

彼を見ていると、自分の興味や関心があるものについては、
記憶力は年齢に関係ないようです。

50代の喫茶店のママさん、
約500人のお客さまの顔と名前だけでなく、
飲物の好みまですべて頭に入っているそうです。

「すごい記憶力ですね、どうして覚えられたのですか?」
と質問すると、「別に記憶しようとして覚えたわけではありません。
その人に興味を持っていると、自然に頭の中に入ってくるのです」と答えていました。

世界の美術に大きな影響を与えた葛飾北斎
「富岳三十六景」などの代表作は60歳を過ぎてからの作品であり、
90歳でいよいよ死を迎えるとき、「天があと10年の時、
いや5年の命を与えてくれるなら、本当の絵かきになってみせるものを」
と嘆いたと言われています。

建築家の方々は特に創造力が求められますが、
安藤忠雄さんをはじめとして、年齢とともに
独創的な作品を生み出す人が多いと言われています。

創造力や独創力は、ゼロから新しいものを生み出すのではなく、
既存のものを組み合わせたり、結び付けたりすることによって生まれる、
年齢を重ねれば経験に伴って記憶の引出しが多くなるので、
創造性が高いものを生み出すことが出来るというのです。

脳と違って、体力面は年齢とともに衰えが来ます。
これは仕方ないことですが、働いているシニアは、
働いていない人と比べて、平均して2年ほど長生きするという
研究結果を慶應義塾大学の岡本翔平博士が発表しています。

寿命だけでなく、認知機能の低下や
脳卒中の発症も少ないという結果が出ているそうです。

昔ならば、50歳が人生のゴールでした。
今は50歳が人生の折返し点です。

しかも、頭を使っていれば年齢に関係なく、
脳の機能を活発に維持することができ、
働くことによって健康面にも大きなプラスがある、

私たちはこんな時代に
50代・60代という年齢を迎えているのです。

今回は以上です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

最後に私のメンター(と私が勝手に思っている)
福島正伸先生の夢を実現する今日の一言から

“川は浅いほど騒がしく
深いほど穏やか”

ライフワーク起業ナビゲーター
経済産業大臣登録中小企業診断士  大場保男
yasu-obs@gc4.so-net.ne.jp

人生を二度生きられる時代の私たち


 

「好きを仕事に!ライフワーク起業」ナビゲーターの大場保男です。

好きなことを仕事にして自分を最大限に活かし、
経済的にも豊かに生きる
50代・60代のライフワーク起業を応援しています。

昨日は「母の日」でした。
私の母親はとうの昔に亡くなりました。
末っ子だったので、若い頃の母親の顔を知りません。

あるとき、この絵を見て
「若い頃の母親はこんな顔をしていたに違いない!」
と理由は分からずに直感しました。

この絵は名が知られた画家が描いたようですが、
それが誰か分かりません。
もし、ご存じの方がいましたら教えてください。

それにしても、幾つになっても
母親のことは懐かしく思い出されますね。

さて、今回のテーマは
「人生を二度生きられる時代の私たち」です。

このブログも長く書いてきましたが
もう一度、原点に返ってシニアの
起業について考えていきたいと思います。

大隈重信の時代から憧れだった“人生100年時代”

早稲田大学の大隈記念講堂の
時計台の高さは125尺(約38メートル)、

これは大学の創始者である大隈重信の「人生125歳説」に
ちなんでこの高さになっていると言われています。

彼は当時としては長寿の83歳で亡くなりましたが、
本当は100歳以上まで生きたかったのでしょうね。

2015年1月、NHKスペシャルで
凄いことを放送していました。

NМNという物質が老化を防止し、
2045年には平均寿命が100歳になるというのです。

それだけではありません。
この物質をマウスに投与した結果、
細胞が大幅に若返ったそうです。

人間に当てはめると、60歳の細胞が20歳に若返ったという結果出た、
60代の人が20代に戻れるかも知れないということだそうです。

その結果、60代や70代の女性が
子供を産むことが出来るようになる可能性があるというのですから、
まるで夢のような話ですね。

2016年、「LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略」という本が発行され、
これをきっかけに“人生100年時代”という言葉が広まりました。

この中に、「いまこの文章を読んでいる50歳未満の日本人は、
100年以上生きられる時代、すなわち100年ライフを
過ごすつもりでいたほうがいい」と書かれていました。

今まで働いてきた時間より長い!60歳からの老後の時間

“人生100年時代”とはいえ、
実際に私たちは何歳まで生きられるのでしょうか。

年齢別の生存確率を見ると、
現在60歳の男性の20%が91歳まで、
女性の20%が96歳まで生きられるというのです。

従ってシニアの方々は、
平均寿命を人生のゴールと考えるのではなく、
その先まで生きられることを前提に、
そこから逆算して人生を考えた方がいいのではないでしょうか。

私たちが20歳から働いて60歳まで40年間
会社勤めした総労働時間は約8万時間になります。

60歳から90歳までの30年間で、
1日に9時間の自由時間があったとすると、
9万8千時間となり、今まで働いてきた時間より
長い老後の時間を過ごすことになります。

しかし、老後もある年齢に達すると、
誰かのお世話にならざるを得ません。

親の世話になっていた時期を離れ、
自分の足で人生を歩き始めたのが20歳として、
誰かの助けなしで歩けるのを80歳までとすると、
その間の60年間の中間点は50歳、つまりその年齢が人生の折返し点と言えるでしょう。

いま、コロナの影響で苦境に立たされている
事業主の話ばかりがニュースになっており
やっぱり、起業なんて考えない方がいいという方が増えているかも知れません。

でも、これがいつまでも続くわけではありません。
コロナにかかわらず、長い第二の人生が待っているのです。

私たちは、“人生50年時代”ではなく
“人生を二度生きられる時代”に生きているのです。

今後の私たちの前には、コロナのような感染症だけでなく
大地震や大津波、超大型の台風が襲って来るかも知れません。
それによって引き起こされる大恐慌があるかも知れません。

私たちの先人たちも、
このような困難の中で生き抜いてきました。

恐れていては何も出来ません。
困難と共生できる道はないか?
こんな知恵を働かせながら、第二の人生を生きていきたいものです。

今回は以上です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

最後に私のメンター(と私が勝手に思っている)
福島正伸先生の夢を実現する今日の一言から

“困難にどう立ち向かっていくか
それを他人が見ています”

ライフワーク起業ナビゲーター
経済産業大臣登録中小企業診断士  大場保男
yasu-obs@gc4.so-net.ne.jp